「第九」の日本初演の地、鳴門市「ドイツ館」を見てきました
徳島県鳴門市にある「ドイツ館」へ行って来た。
この建物は、この地に「板東ドイツ人俘虜収容所」が1914年に開設されたことを記念して建てられたもの。(写真をクリックすると拡大)
開設当時の収容所の広さは、ほぼ甲子園球場くらい。収容人員は1千人あまり。
この俘虜収容所は、国内各地にあった他の収容所にはない比較的自由な生活が許され、地域の日本人住民との交流も活発に行われていた。
そのひとつが幾度も開催された演奏会で、日本で初演された曲も多い。特に1918年6月1日に、ベートーヴェンの交響曲第九番、いわゆる「第九」が日本で初めて演奏されたことは有名だ。演奏会で使われた楽器は手作りのものもあり、また合唱団に女性がいなかったため、「第九」の女声パートは男性が歌った。
初演に至る物語は、2006(平成17)年に「バルトの楽園(がくえん)」として映画化された。
この俘虜収容所が例外的な運営がされたのは、所長の松江豊寿大佐が会津藩出身で、「彼らも母国のために戦争で戦ったのだ」という「敵をも敬う」という信念を持っていたから。組織の性格は、その組織のトップの思想で決定づけられることを実証している。
「第九」が初演できたのは、それ以外に、いくつかの好条件が揃っていたからのようだ。
つまり、所長の補佐役のナンバーツーとしてドイツ語に堪能な高木繁大尉がいたこと、四国四十八個所の札所が近くに複数あり「訪問してきた人は誰でも歓迎し親しく接する」という精神的な風土が地域社会に根付いていたこと、中国の青島でドイツ軍の軍楽隊長をしていた人物やプロのヴァイオリンニスとも俘虜の一員にいたこと・・・・などの条件に恵まれていた。
「ドイツ」館の近くには、映画のロケ地跡、俘虜の慰霊碑、俘虜が地元住民のために作った石造りの「ドイツ橋」などが残されている。
「ドイツ館」の駐車場脇には、2006年7月8日にオープンしたドイツ軽食喫茶の「インビス」がある(写真の左の長屋)。
この建物の骨組みは、第一次世界大戦当時に板東俘虜収容所で兵舎として使われていたもので、徳島県の登録有形文化財に指定されている。
ドイツに行った気分を思い出しながら、「ドイツ館」でフランケンワインを土産に買った。
「ドイツ館」のサイトは こちら。
[第九の初演]
年末になると日本では各地で「第九」が演奏され、小規模な演奏会も含めると200を超えるとも言われている。かく言う私も、“健康維持”を目的に、何度かオーケストラをバックに晴れの舞台で歌っている。今年も挑戦したい。
「年末に『第九』を歌うのは日本だけ」という声も聞く。しかしどうも、その意見は正しくないようだ。
聞くところによると、第一次世界大戦が終結した1918年の12月31日、つまり大晦日のこと、ドイツのライプツィヒの市民が「平和・自由祭」を開催し、ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で、市民300人による合唱団を編成して「第九」を演奏した。夜の11時に演奏を始め、12時きっかりに第四楽章の「合唱」を歌い始めた。
当時、疲弊していた国民感情が、この演奏会をきっかけに結束し、国家再建に向けて歩み始めたという。
その伝統は、第二次世界大戦のために一時中断はあったものの、ゲヴァントハウス管弦楽団による「年末の第九」として今も受け継がれているそうだ。その習慣は、ドイツ国内の他のオーケストラも採り入れるようになった。
もちろん偶然だが、鳴門で1918年6月に初演されたのと同じ年の大晦日に、ライプツィヒで演奏されたことになる。
一方日本では、1937年に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の常任指揮者として就任したヨーゼフ・ローゼンストックが、「ドイツでは大晦日に第九を演奏するのが習慣になっている」と紹介し、その後、NHKが年末に演奏するのが習慣となり、さらに多くのオーケストラが演奏するようになって、今に至っている。
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